2013年2月6日水曜日

小金井市のごみ問題の歴史的経過



小金井市の「可燃ごみ」問題の歴史的経過をまとめました。市民の皆様がこれまでの経過を知る一助になれば幸いです。

なお、内容に関しまして、不足している点がございましたら、御一報願います。調査の上で、加筆修正していく予定です。


    昭和32年 小金井町(現:小金井市)、調布市、府中市が、二枚橋衛生組合を結成。

    昭和33年 二枚橋衛生組合が二枚橋焼却場でごみの焼却を開始。

    昭和42年 二枚橋衛生組合が、1号炉と2号炉を建設。

    昭和47年 二枚橋衛生組合が、3号炉・4号炉を建設。

    昭和60年 小金井市議会が、3市のごみの増大分を、二枚橋焼却場とは別の「第二工場」で処理することを求める決議を全会一致で可決。→この決議が原因で、府中市並びに調布市との関係が悪化したとも言われる。

    平成元年 東京都が、二枚橋焼却場を都立野川公園内に移転する案を示す(近隣の同意が得られなかったため実現せず)。

    平成4年 二枚橋焼却場の老朽化が著しいため、4年間をかけて、延命のための工事。

(●平成5年 渡辺大三、市議選に初当選)

    平成9年頃 多摩川衛生組合(稲城市など)に小金井市が加入できるチャンスがあったが、自民党系の大久保市長は、市民や議会に知らせず、その話を見送る。→そのチャンスがあったことは、稲葉市長も公式に認めています。

    平成11年 稲葉孝彦氏が自民党・公明党の支援を受けて市長に初当選。

    平成16年5月 稲葉市長が、国分寺市長に対して、「小金井市の責任で用地を確保するので将来は共同処理を」「新施設ができるまでの間は国分寺市で小金井市のごみの処理を」と申し入れる。これは東京都が仲介して行われたもの。

    平成16年6月 稲葉市長が、武蔵小金井駅南口再開発事業を推進するためとして市長を辞職し、再選挙に臨む。小金井市が市長不在の間に、府中市や調布市は相次いで二枚橋からの離脱を表明。→「ごみ」より「再開発」を優先して辞職した姿勢が強く批判されました。

    平成16年7月 稲葉氏が市長選に当選して職に復する。

    平成18年 稲葉市長が「ごみ非常事態宣言」を発令。

    平成18年12月 稲葉市長が、府中市長並びに調布市長に対して、二枚橋焼却場跡地を新焼却施設の一つとする旨を報告。両市長は、他の用地を取得するための代替地としてなら提供する可能性を示唆。

    平成19年1月 稲葉市長が、突然、新焼却施設建設候補地として「二枚橋焼却場用地」と「蛇の目ミシン工場跡地」を挙げる(「寝耳に水」の周辺住民は強く反発)。

    平成19年2月~3月 小金井市が4月以降の可燃ごみの処理先を確定できていないことが大問題になり、新聞やテレビでの報道が相次ぐ(稲葉市長は、国分寺市が小金井市の可燃ごみの全量を引き受けてくれると思い込んでいたが、実際には3分の1だった。稲葉市長はそのことを伏せていたが、議員の指摘で発覚する。)。

    平成19年3月 調布市議会は、小金井市が二枚橋焼却場用地に新焼却施設を建設することに対して否定的な決議を全会一致で可決する。

    平成19年3月 二枚橋衛生組合(管理者=稲葉市長)は、二枚橋焼却場を予定より2年前倒しして閉鎖。→稲葉市長は「退路を断てば何とかなる」と考えていたようですが、そんな甘い話ではありませんでした。

    平成19年4月 二枚橋焼却場の閉鎖に伴い、小金井市は可燃ごみの全量を他自治体に委託して処理する「広域支援」に依存することになる。→本来、「広域支援」は、突発的な事故の場合や、今後の処理施設建設計画が明らかになっている場合に行われるものであり、小金井市のケースはルール違反。

    平成19年4月 市長選。稲葉氏が四選。

    平成19年6月 稲葉市長が、新焼却施設建設場所選定等市民検討委員会を設置。市長案としては「二枚橋焼却場用地」と「蛇の目ミシン工場跡地」を諮問。市民検討委員会は、その2箇所以外(都立公園など)も幅広く検討する。

    平成20年6月 新焼却施設建設場所選定等市民検討委員会は、稲葉市長が「(府中市並びに調布市から取得できる)可能性がある」とした「二枚橋焼却場跡地」を新ごみ処理施設用地として答申。稲葉市長並びに議会の大多数は答申尊重を表明。

    平成21年3月 二枚橋衛生組合が解散(敷地は概ね三等分され、小金井市、府中市、調布市がそれぞれ取得)。

    平成22年3月 稲葉市長が、府中市並びに調布市からの同意が得られないまま、「二枚橋焼却場跡地」を新ごみ処理施設用地として行政決定。しかし、府中市並びに調布市との用地取得交渉は遅々として進まず。

    平成22年11月 「二枚橋焼却場跡地」の取得交渉が行き詰る中、府中自動車試験場の西側に隣接する「大和(だいわ)自動車教習所跡地」の所有者が、売却手続に入る。同跡地は全域が小金井市内で、面積は「二枚橋焼却場跡地」を上回る。稲葉市長は売却手続が始まったことを市民や議会に伏せていたが、議員の指摘で発覚する。

    平成22年12月 稲葉市長は、財政難を理由の一つに上げ、「大和(だいわ)自動車教習所跡地」を購入しない方向を示唆。結果として、同跡地は、小金井市が「先買い権」を行使しなかったため、民間に売却され、リハビリ病院が建設される。

    平成23年3月 「二枚橋焼却場跡地」を行政決定して一年が経過するが、府中市並びに調布市との交渉はまったく前進せず。

    平成23年4月 市長選。ごみ問題や市民交流センターの欠陥を巡る混乱で市長批判が強まり、現職・稲葉氏が落選。新人・佐藤和雄氏が初当選。

    平成23年11月 佐藤市長が、自らのごみ問題に関する選挙公約に起因する混乱の責任をとり任期途中で辞職。

    平成23年12月 市長選。稲葉氏が五回目の当選で市長職に復帰(選挙公約は「平成24年度末(平成25年3月)までに、可燃ごみの処理について、実現可能な方策を示す」)。

    平成24年2月 調布市長が、「二枚橋焼却場跡地」の調布市所有分について、調布市独自の清掃施設の建設方針を表明。

    平成24年3月 稲葉市長が、国分寺市長に対して、「二枚橋焼却場跡地」での共同処理が困難になった旨を伝達。国分寺市長は、稲葉市長に対して、「二枚橋焼却場跡地」以外の敷地を選定するよう要請。

    平成24年5月 稲葉市長が、「二枚橋焼却場跡地」への建設を進めようとしたことについて「判断が甘かった」と反省の弁。

     平成24年11月 日野市長が、同市内に可燃ごみ処理施設を新設し、小金井市及び国分寺市と共同処理をする方針を打ち出す。稲葉市長並びに市議会全会派は、この方針を受け止める姿勢。現在進行形であり、実現するかどうかについては現時点では結論が出ていない。

     平成25年3月 稲葉市長の公約達成期限。




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